「きゃ・・・!」
強く突き飛ばされた身体は、広い寝台の上に投げ出された。
半身を起こして相手を見れば、口元に下卑た笑みを浮かべている。
「随分と焔と親しくしているようだな。」
言葉の中に出てきた名に動揺して、血の気が引いていくのがわかった。
それでもなんとか否定の言葉を返そうとすれば、それを遮るように嘲笑われた。
「ワシに嘘が吐き通せると思うのか?」
「・・・っ」
「今朝、アレをもとの監獄へ入れてやった。」
「そんな!」
咄嗟に出てしまった言葉にはっとして口を塞ぐ。
耳に入り込む嘲笑が脳内を侵していく。
「殺しはせぬ。殺させるために生かしておるのだからな。」
「帝・・・」
「お前とも二度と関わらせぬよう・・・いや、そうかお前をここに閉じ込めておけばよいのだな。」
にたりと歪んだ表情に、身体が震えた。
言い知れぬ恐怖と不安と寒気。
「お前はここで囀っておればよい。」
「お・・・お許しを帝っ・・・どうか・・・どうか・・・っ」
胸元に手繰り寄せたシーツが力ずくで奪い取られる。
「お許し下さい帝!いや・・・いや・・・!」
薄布が手荒く引き千切られる音と、声に出せぬ自分の悲鳴とが、共鳴して消えた。
「観世音菩薩。」
「ああ、わかってるから向こう行ってな。」
ひらひらと手を振って見せた主に、次郎神は一礼して部屋を出て行った。
それと入れ違いに部屋に入ってきた影を、観世音菩薩は口角を上げて迎えた。
「よぉ 。」
「お久しぶりです、観世音菩薩様・・・」
覇気の無い声と現れたその姿に、一瞬笑みを消す。
無言で招いた身体を引き寄せ、全身に纏ったヴェールの下の片袖を引き上げた。
「・・・随分ひでェな。あのクソジジィにまたヤられたのか。」
片腕だけで何箇所も傷があり、白い肌は青アザや火傷で覆われている。
手首には擦り切れた痕もあった。
明らかな暴行の痕跡に、柳眉が顰められる。
「おわかりになっていらっしゃるのでしたら、望みを叶えていただけますか?」
「・・・言ってみな。」
薄暗く冷たい空間。
こんなものには慣れていた。
今更ここに何十年何百年閉じ込められようと、構わない。
けれど今こうしている時間が酷くもどかしい。
「・・・」
声が聞きたい。笑顔が見たい。
彼女は、今どうしているのだろうか。
表沙汰の罰は無いだろう。けれど、あの天帝が黙っているはずがない。
どんな仕打ちを受けているか、それを考えるだけで、全身が氷水を浴びたように冷たくなった。
だから、観世音菩薩という高位神がここを訪れてそれを告げたとき、凍ったように動けず声も出なかった。
「何・・・を」
「もう一度言う、 は下界へ転生した。」
「・・・嘘だ・・・」
「ウソじゃねぇよ。俺がさせたんだからな。」
身体を支えようと咄嗟に掴んだ柵が、ガシャッと金属質な音を立てる。
その音が断続的に続くのは自分が震えているせいだとは気づかなかった。
「それ・・・が、彼女の処分か?」
「いや、アイツの処分は天帝の部屋での監禁だ。それが終わった日に俺のところへ来た。」
「なら・・・」
「転生は、アイツ自身が望んだことだ。」
脳内が混乱して、上手くものを考えられない。
転生?それを望んだ?何故?
俺のせいか?
「俺・・・が・・・」
「お前のせいじゃねぇよ。」
わずかに顔を上げて観世音菩薩を見る。
紅く染まった唇から、その時のことが語られた。
『焔・・・つったな。アイツはどうする。』
『・・・あの方とは関係のないことですわ。』
『関係ねぇ?』
『そうです・・・いえ、関係があってはならないのです。何も無かったことにしなければ・・・』
『無かったことにできるのか?』
『私が消えればそれで終わりです。焔様も・・・私のことなどすぐに忘れて下さるでしょう。』
『・・・お前はどうしたい。』
『ですから・・・』
『建前じゃねぇよ。お前の本心だ。アイツに会いたくねぇのか?』
『 ――― っ 』
『言ってみろよ。』
『・・・たい・・・』
『あ?』
『会いたい・・・会いたい会いたい・・・っ!けれどどうすればいいのですか!どんなに願ってもこの世界ではもう・・・!』
『ああ、そうだな。』
『私にはこうするしかできないのです・・・あの方を想いながら別の誰かに抱かれ続けるなんてできない!』
『・・・それが本心だな?』
『観世音菩薩様・・・私は、酷い女なのでしょうね。この世界にあの方だけを残して、自分は逃げるのですから・・・』
『・・・・・・』
『あの方を・・・焔様を愛しています。理由などわかりません。ただ、今の私にとって、焔様が全て・・・だから、』
あの方の瞳を見ることも、声を聞くことも、温もりを感じることもできない世界なんて、私が存在する意味が無い ――――
全てを聞き終わったときには、柵を掴んでいる力さえ無くなっていた。
それを見下ろしているのだろう観世音菩薩の口から、吐息に近い笑みが漏れるのを、わずかな神経が捉えた。
「・・・夢を、見たんだとさ。」
「夢・・・?」
「人間に生まれ変わって、フツーの暮らしをして、その隣にはお前がいて、笑いあってる。ただそれだけの夢さ。」
『それだけ』としか言えない夢。
フツウであれば、それが当たり前なのだろう。
けれど自分達にとっては、遠すぎる夢。
「ただそれだけの夢を叶える為に、アイツは行った。お前は、どうする?」
自分の答えを聞かないまま去っていった足音。
未だ混乱している脳と心臓を一つずつ鎮めていく。
『転生』という言葉はあまりにも漠然としていた。
それが本当に行われたのかさえ、信じられない。
自分が何も知らぬ間に全てが片付いてしまった。
彼女がこの世界から消えたとして、どうやってそれを感じればいいのだろう。
この牢獄を出たら、あの笑顔が見られるような気がしているのに。
身体が覚えている温もりも形も、すぐ感じられるような気がしているのに。
それが、無い。
彼女は、いない。
「・・・ぁ・・・あ・・・」
口から零れた音。
昔一度だけ出した、嗚咽に近い音。
確かあのときの自分はまだ幼くて、番兵に暴行を受け痛みに耐えられずに声を出した。
今もそれと同じ・・・いや、更に酷い痛み。
身体を引き裂かれるような、抉り取られるような痛み。
いっそそうしてくれればいい。
ズタズタに引き裂いて内臓を抉って、この魂の器を壊してくれればいい。
そうすれば彼女のところへ行けるのに。
自分はそれさえ許されない。
石の床に爪を立てる。
力を込めれば、爪はパチリと小さな音を立てて割れた。
滲む血に、が纏っていた毒々しいほどの紅い衣を思い出す。
本当は青が好きなのに、と苦笑していた。
天帝の下に雨乞いとして就いたときから全てを強いられて自由は無く、主の思うが侭。
ガラスケースに入れられた薔薇の造花のよう。
だから自由と幸福を持つ青い鳥に憧れたのだ、と。
彼女の全てを奪い支配していた天帝。
それが唯一手に入れられなかったのは、彼女の心。
そして何も無い自分が唯一手に入れたのは、彼女の心。
そう思うのは自惚れなのかもしれない。
けれどそう思いたい。
「 ・・・っ」
君に出逢うまで、こんな苦しい思いをするなんて考えてもいなかった。
誰も愛さず誰からも愛されず独りで生きて、独りで死ぬのだろうと思っていた。
そのほうが楽なのかもしれない。
今ここで君を忘れてしまえば、きっと楽になれる。
けれどできない。
君を忘れるなんてことができるはずもない。
短い逢瀬の間に君を知りすぎてしまった。
きっとこれから、青い空に、純白の花に、舞いに、歌に、君を見出すだろう。
「 ・・・」
必ず、君を捜し出そう。
どれだけ時間がかかっても、必ず見つけてみせる。
それが君の望みなら。
そして俺の望みでもあるから。
『焔様。』
『ん?』
『もし・・・もし転生というものをしたら、記憶は全て無くなってしまうのでしょうか?』
『・・・どうだろうな、俺もそのことはよく知らん。だがこの世に確定しているものなど無いだろう。・・・俺自身が証明したからな。』
『え?』
『お前に逢うまで、俺の全ては決定付けられていた。それに対して疑問も持たなかった。 お前に出逢って、俺は変われたと思う。』
『 ―――― 』
『何だ?』
『ふふっ・・・いいえ、一つだけ確かなことがありますわ。きっと私は何度生まれ変わっても、』
何度生まれ変わっても ――――
どれほどの月日が過ぎただろうか。
に執着していたように見えた天帝は新たな雨乞いを立て、それを相手に過ごしている。
観世音菩薩はあの後一度だけ会い、「覚悟は決まったみてぇだな。」と笑っていた。
彼女がいない世界で生きることは酷くつまらなく、全てが色褪せて見えた。
ただ を捜すことだけが生きている意味。
彼女にもう一度触れたいと、笑顔を見たいと願うことが、生きる糧。
闘神に任命されたときは、いい機会だと思った。
下界に降りることができれば、彼女を捜しやすくなる。
討伐の度に一人残り、彼女の気を探っていた。
そうして今自分は、一つの城の一室に向かっている。
城の一番奥まった場所から聞こえてくる歌。
聞いたことがないその歌は、どこか懐かしく思えた。
身体に震えが走る。
きっといる。彼女はあそこにいる・・・!
「・・・誰・・・ですか?」
幾年月を経て再会した彼女は、自分を見て瞳に少しの怯えを浮かべた。
男が急に部屋の中に現れたのだから当たり前かもしれない。
座り込んだまま、手に持った鳳頭造りの二胡を抱きしめてこちらを見上げる。
ふと、周りを見た。
広い部屋に調度品が並べられ、薄いヴェールの向こうには浴槽がある。
だが全てが揃いながら、この部屋には窓が無かった。
いや、あるにはあるが、高い所に小さく切り取られ、鉄格子が嵌められていた。
「・・・何故こんな所にいる・・・?」
問うと、彼女は戸惑ったように口を開いた。
「私は・・・殿下に仕える巫女です。」
「巫女?」
神に祈りを捧げ、祭事には楽を奏で舞踏するのが役目だという。
「・・・寝所での務めもあるのか?」
そう聞いたのは、彼女が肌が透けそうなほどの薄布を一枚身につけただけの、街中の娼婦のような姿だったからだ。
羞恥に頬を染めて顔を逸らした様子から、それが事実であることを知る。
何という皮肉だろう。前世と同じような立場にいるとは。
立ちつくしたままだった足を踏み出す。
近づく毎に、彼女も座ったまま後ずさった。
壁に背が当たり、それ以上下がれなくなると、無意識に手元にあった布を胸元に手繰り寄せる。
なるべく怯えさせまいと目線を合わせ、ゆっくりと手を伸ばした。
だが頬に触れ、指先に彼女の温もりが伝わるのを感じて、思わず強く抱きしめてしまった。
「やっ・・・だ、誰か・・・っ!?」
扉の向こうにいる人物に助けを求める声を、口を塞ぐことで封じた。
「すまない、何もしないから・・・」
そう言って手を離し、不安げに見上げてくる瞳を苦笑で受け止めた。
間近で見る彼女と、が重なる。
「会いたかった・・・」
「え・・・?」
「ずっとお前を捜していた。もしもっと早く見つけられていたら、こんな目に合わせずに済んだのに・・・」
彼女には意味が分からないだろう。すまない、と謝っても答えは無い。
ただ、強張っていた身体からふと力が抜けるのがわかった。
「貴方は・・・誰?」
「・・・名は、焔。」
「ほむら・・・?」
「ああ。」
名を繰り返して考え込むが、思い当たるものは無かったのか、一度首を横に振った。
「貴方は・・・不思議な方ですね。他の殿方は、こんなに優しく私を抱きしめたりしませんもの。」
・・・ああ、そうだ。
もこんな笑顔をよく見せた。
瞳に哀を浮かべて、けれどそれを隠すように口元で笑って。
優しくて、哀しい ―――
「お前を・・・」
「巫女様、殿がお呼びでございます。」
扉の外から聞こえた声に、はっと顔を上げた。
近づいていた唇を逸らす。
彼女は少し慌てたように、すぐ行くとの返事を返した。
「・・・もうお行きになって下さい。もし見つかったらどんな酷い罰を受けるか・・・」
離れようと胸を押すほっそりした手に、自分の手を重ねる。
「俺と一緒に来てくれないか?」
「え・・・」
「お前がここから出たいと望むなら、出してやれる。」
「そのような・・・っ 」
「この暮らしを望んでいるのか?」
答えに詰まった彼女は俯き、肩を振るわせた。
その頬に触れ、顔を上げさせる。
涙の浮かぶ瞳に口付けると、胸に顔を埋めてきた。
「・・・こんな暮らしを・・・望んでいるはずがありましょうか。」
昼間はこの牢獄のような部屋で過ごし、夜は数多の男に足を開く。
いつも監視の目がつき、自由など無い。
何度も逃げ出したいと思った。
「けれどこの城から・・・この部屋から抜け出すことなど・・・」
「できるさ。」
「貴方はそうでも私は・・・っ 」
「お前は、俺が守る。」
「 ――― っ 」
ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳に映る自分。
その時自分はどんな表情をしていたのだろう。
少なくとも、に出会う前の、濁った眼の自分ではなかっただろう。
「焔・・・さま・・・」
縋り付くように首に腕を回してくる彼女をしっかりと抱きしめた。
「本当に・・・本当に私を逃して下さるのですか・・・?」
「ああ。」
「・・・行き・・・たい・・・貴方と行きたい・・・!」
「ああ、一緒に行こう。」
お前が見た夢を叶えるために。
俺が手にしたお前の心を放さないために。
一緒に ―――
そうしてしばらくの後侍女がその部屋で見たものは、脱ぎ捨てられた一枚の薄衣だけだった。
「・・・貴方は本当に不思議な方ですね。」
「そうか。」
彼女がそう言うのも無理は無いだろう。
目を閉じろと言い、次に目を開けたとき瞳が映したものは一面に白い花が咲き乱れる野原だったのだから。
右腕に彼女の頭を乗せて寝転がる。
何百年ぶりかの穏やかな時間。
「・・・おかしいと思いますか?」
「何がだ?」
「会って間もない貴方とこうしていることが、とても幸せなんですもの・・・」
胸に頬を摺り寄せてくる彼女の額に口づければ、くすぐったげに肩をすくめた。
「お前は、転生というものを信じるか?」
「転生・・・?」
聞き返した彼女は、すぐに「ええ。」と返してきた。
「笑わないで下さいね。私、何度も転生する夢を見たんです。」
小さく声を上げて笑い、こちらを覗き込んできた。
「何度も死んで何度も生まれ変わって、けど必ず同じヒトに恋をするんです。彼は何度も私の前に現れて抱きしめてくれる・・・」
少しだけ紅潮した顔に、恥ずかしげに笑みを浮かべて。
『きっと私は何度生まれ変わっても、』
「彼が貴方だったらいいのに・・・」
何度生まれ変わっても ―――― 貴方に恋をするでしょう
そんなことがあるわけない、と思っているのだろう。
眉尻を下げて苦笑した彼女の細い肩を抱き寄せる。
「・・・きっと俺も、何度生まれ変わろうとお前を見つけ出して、抱きしめてやる。」
その言葉に大きく眼を開いた彼女は、初めて本当の笑顔を見せてくれた。
あの時と同じ・・・哀は無く、ただただ柔らかで優しい、自分が焦がれた笑顔。
皇かな頬に手を置くと、その上に彼女の手が置かれる。
伝わる温もりを感じながらもう片方の手で引き寄せると、抵抗も無く、唇が重なり合った。
『夢を・・・見ました。』
『夢?』
『とても幸せな夢でした・・・生まれ変わったとき私はごく普通の娘で、真っ白な花の咲く花園で歌って、隣にはあの方がいて・・・』
貴方と、笑って ―――
天上には、雨を乞うために舞う乙女がいる。
毎夜闇の中に翻る白い裸体と、響く淫猥な歌声。
けれど乙女が望んだのは、甘露の雨でも、快楽の雨でもない。
どれだけの時が経とうと、決して変わることのない想い。
たった一つの、甘い恋 ―――
【End】
アマゴイ後編でした!ぎゃーもぅ遅れまくって本当にすみませんでしたー!!(土下座)
え、前編上げてから約一ヶ月くらいですか!?忘れられてたりして・・・
これだけ待たせておいてリクにちゃんと応えられているかすっごい不安なんですが(汗)
前編後編続けて読むと解りますが、後編最後のシーンは前編最後のシーンとシンクロしてます。
どうやら私は伏線張ったり同文使ったり、文章で遊ぶのが好きなようです(笑)
それではお待たせしましたが、リクして下さった夢野様に捧げます。ありがとうございましたv